H:田辺さんはどう言う方だったんでしょうか。
T:田辺さんは、本当に封建的と言うか縦割り社会の人でしたね。
ブルージーンズの寺内タケシさんもそうですが…
楽屋で、坊や(バンドボーイ)を鉄拳制裁してたのを何度も見ましたね。
H:へえー。
H:もう、スティック一つの管理からドラムのセッティングの事までちょっと違ってたりすると、ぼかーんってね。
H:井上順氏が「田辺さんは本当に怖かった」って言ってたのを聞いた事があります。
T:坊やはいつもびくびくしてましたね。
とにかくすぐ手が出ました。
田辺さんは本当はジャズがやりたかったようなんですよ。それが、ああ言った音楽をやらざるを得なかったうっぷんはあったようですね。「ドラム」や、新宿のACB、ピットインとかに、とこちゃん(日野元彦氏)が客として見に来ていてステージが終わったあと六本木の店に僕をつれて田辺さんと3人で行くんです。
それで、とこちゃんが「あそこはよかったね」って田辺さんに言うと「ありがとう」って言ってました。音楽的に凄く前向きな人ですね。
スパイダクションと言う会社をやりつつも音楽的な姿勢は前向きな人で音楽に対する姿勢も謙虚でしたね。
H:対してジャッキーさんはどんな方だったんでしょうか。
T:ジャッキーさんはそんな怖く無かったですね。女が好きでした。(笑)
楽屋には常に女の人がいましたね。「あれ、この前の人と違う」とか。(笑)
H:へえ、イメージ的には硬派っぽいイメージなんですが。綱木さんとかはなんとなくそんな感じがしますが…
T:まあ、あの頃はもてて当然と言う事も有りますからね。
H:ステージの時間はどれくらい有ったんでしょう。
T:入れ替え制で、大体1時間くらいでしたかね。それを夜の部で2ステージです。
H:ブルコメでは、やはりオリジナルよりそう言ったカバー曲のほうがイメージが強いのでしょうか。
T:そうですね。演奏を聞かせたいと言うのが前に出てました。当時ブルコメにはテーマ曲がありまして、
H:「青い彗星」ですか。
T:いや、スローブルースで3連譜の物です。それで井上さんのサックスが入ってきて…そのあとMCですね。
H:それはブルコメBOXのLive音源にも無い物ですね。
T:確か、そんな曲だったような気がしましたね。その当たりにブルコメの意地が有ったのではないですかね。
H:ジャズ喫茶ではGSのレパートリーはオリジナルよりカバーのほうが多かったんでしょうか。
T:そうですね。
H:どのバンドも必ずやっていたんですか。
T:やってました。ですから、そう言った曲をやれば、自分たちはそう言うレベルである事を証明できると言う事ですかね。
H:それから、井上宗孝さんが、開いていたドラム教室に付いてうかがいたいのですが。
T:そうですね、自分たちの演奏時間の合間に「ドラム」の控え室で何人か並べてやっていましたね。
H:どう言う人たちがいたのですか
T:坊やとか、井上さんが自分で開いてるドラム教室の人が、わざわざ情報を聞き付けて来ていたりしました。
H:それでは井上さんは、バンド活動の他にドラム教室を開催されていたのですね。
T:そうです。井上さんに憧れてシャープファイブのステージを見にくる男の子のお客さんの半分くらいは、教えてくださいって来たようですね。
H:話は変わりますが、桜井五郎とノーネイムスについてうかがいたいのですが、これにテリーさんが参加するきっかけと言うのは何でしょうか。
T:僕が、「ドラム」でボーイをしていたときに内田裕也さんの30歳の誕生日パーティーがありまして、そこに五郎さんがいて、今度新しいバンドをやるからこないかと誘われました。
H:ノーネイムスは、どのような曲をやっていたのでしょうか。
T:なんだったかなあ…8ビートの向こうの曲だったと思うんだけど…
H:メンバーは他にはどんな方が。
T:くず坊(岡本和雄さん。)なんかも来てたなあ…それから水谷こうせいさん、アウトキャストの轟五郎さん。5人くらいいたと思いましたね。
なんで、ノーネイムスって言うかはちゃんと事務所が固まってから名前を付けようかと言う事だったらしいね。
僕と水谷さんとよくもめましたよ。
H:桜井五郎とボーイズとノーネイムスとの関係は。
T:ノーネイムスは前身ですね。沖縄で演奏旅行が有ったんですが、僕はその前にやめてしまいました。
五郎さんは当時あせっていたみたいですね。
会社のほうから、早くしろと言う声があったみたいなんですが自分の気に入ったメンバーが集まらないと言う事で。
H:ノーネイムスからボーイズのメンバーの関係はどうでしょう。
T:大体スライドしたみたいですね。このあと、僕はキングレコードから話があって。
H:それは丸山修とロス・パリエンテスですね。
T:そうです。
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