H:どうも年代が複雑になってると思ったら、どうやら私が勘違いしていたようです。
ここで、秦が資料を見比べつつ
H:佐藤さんが491から抜けられたのは、「淋しいジェニー」の発売前だったんですよ。
それで、ジャケットに真木さんの写真しかなかったんです。名前もこのレコードから49Aとなっていますし。つまり、新ルビーズから491に入られて、このレコードの発売前に、やめられたんですね。
S:なるほど、そうだったんですね。それで写真に載ってなかったわけか。
これで、TV出演の話も一件落着。
H:当時、ベースで、この人は凄いなあとか思った人はいましたか。
S:やっぱり、カップスの加部さんでしょうね。ただ、あれはベースのフレーズじゃないなという感じはしましたが。ギターベースという感じでしたね。
後、「トランプス」というバンドがあって、R&Bの良いバンドでした 。
僕はR&Bのベースは好きでしたね。
I:当時対バンしたバンドはどんなのがありますか。
S:ダイナマイツとか、ジャガーズ、スーナーズ、シャープホークス。ダイナマイツは凄かったですね。ジャガーズは人気ありましたね。
H:491は人気はどうだったのでしょう。
S:結構人気ありましたよ。沢さんもかっこよかったですし。ただ、僕はあまりやりたいバンドではなかったですね。
H:やはりR&B系のバンドがやりたかったと言うことですか。
S:いや、ビートルズ系ですね。でも、ビートルズってのはやるもんじゃなくて、聞くもんですね。
どうしても日本のビートルズになっちゃうでしょ。演奏はともかく、あの歌はまねできないですから。
H:491をやめてからはどうされてたのでしょうか。
S:その後、実家の仕事を手伝うことになりました。うちは姉が一人なので、僕が家を継がなくてはならないので。僕も好きなことをやらせて貰ったから、それで満足でした。
ただ、やめてから一度、ジョー山中さんのバックをやったことがありました。
赤坂のムゲンだったんですが、あそこは実力がないと出られないので、凄く気持ちが良かったですね。フィリッピンバンドと対バンだったんですけどね。
その後は一切音楽はやらなかったです。それで、40代後半になってから、そろそろ始めても良いかなと思いまたやり始めました。
I:現在は、どのような活動をされているのでしょうか。
S:今は、「カサンドラ」(市民音楽祭、市民文化フェアで、SOJと対バンしています。)ともう一つバンドをやってます。
H:どちらもブルースバンドなんですか。
S:いや、もう一つの方は、オールマン・ブラザースとかをやってますね。
I:それでは、これもいつも皆さんに伺っているのですが、佐藤さんにとってGSとは。
S:そうですね、あまり楽しい時期ではなかったです。やりたいバンドでもなかったので。連絡がなきゃ、行かないみたいな。
H:GSブームに関してはどうですか。
S:結局オリジナルとかをやるわけで、それをやるんだったらコピーやってた方が良いんじゃないかなあと思いました。タイガースとかテンプターズとかそう言うバンドはまた別だとは思いましたが。
I:今日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
H:佐藤さんの今後のご活躍をお祈りしています。ありがとうございました。
S:こちらこそ。
写真撮影:福原祥三氏