再びドラマーとして

 

スタジオネイブにて、加藤さんと。


H:前田さんは70年にファーラウトを始められて、71年にシングルを出して暫くして離れられてますね。

M:仕事がなくなってきたんです。

H:それで、プロのミュージシャンとしての仕事から離れられたんですね。その時はもうご結婚されていたんですか。

M:つきあっていた頃ですね。彼女はスパイダースのファンでした。メンバーもみんな知っていた人で、その彼女の実家が魚屋だったんです。
それで仕事がない時は手伝ったりしていたんです。

H:ミュージシャンと魚屋ではまるで違いますよね。まずロン毛がだめですから(笑)

N:おやめになる決意は。

M:うん、結局生活していけないんですね。趣味なら良いんですが、それでは生活できないですから。それで自分自身についても、ある程度音楽をやったという達成感がありましたから、そこで決断しました。

I:メンバーには相談されたんですか。

M:いや、いきなり自分で決めて話しました。みんなもその方が良いと分かってくれましたね。(スパイダースの)堺さんからも、「俺だって今は人気あるけど先のことは分からないから、銀行だって金貸してくれないよ。芸能人は保証がないからローンも組めないし。」そう言うアドバイスを貰いましたね。
魚屋を始めてからも、堯之さんとか加藤さんとは親交がありましたね。

H:前田さんは、この商店街の人達と今バンドを結成して活動されていますが、これがファーラウトをおやめになってから初めてのバンドなんですか。

M:そうです。

I:その間ドラムは演奏されたことはなかったんですか。

M:一切無かったですね。

H:今のバンドはいつ結成されたんですか。

M:5年くらい経ちますかね、ただ毎日やってるというわけではなく、何か催しがあると集まるといった具合ですね。(演奏ナンバーも)オリジナルというわけではなくベンチャーズが多いですね。

N:スパイダースのナンバーはやってるのですか。

M:いや、ボーカルがいないんですよ。

I:女性ボーカルの方がいましたよね。

M:ベンチャーズのナンバーで、渚ゆうこさんが歌ったナンバーとかありますでしょ、そうしたものをやる時に手伝って貰っています。

H:このバンドの結成の由来はなんですか。

M:商店街の新年会がありまして、そこの余興でバンド演奏があったんです。そに時そのバンドにドラマーがいなかったんです。ドラムはあったんですが。それでギターの人がドラムも兼用で演奏していたんですね。そこで僕がたまたまいて叩いてみようと言うことになりました。
そうしたところ、周りの皆さんが驚いて・・・

H:そりゃそうですよね。

M:スパイダースにいたのは知っていたんですよ、ただ、その場で生のドラムを聞いたんで驚いたんですね。それで、是非一緒にやってくれと言う話になりました。

N:その間ドラムセットは取ってあったんですか。

M:そうですね、でも最近新しく小さいものを買いました。小さな場所でも出来るように。

 

  

前田商店前

 

H:その前田さんのバンドのライブに加藤さんがゲストでお見えになったんですが、その経緯というのはなんでしょうか。

M:スパイダースのマネージャーさんを忍ぶ会があった時に、加藤さんと何十年ぶりに再会したんですよ。それでその時にお誘いしました。
他のメンバーとは定期的に連絡取っていたんですが、加藤さんとは取れてなかったんです。

H:加藤さんと久しぶりに演奏できてどうでしたか。

M:そりゃもう嬉しかったですよ。やはり音もアマチュアの人とは違いますし。こうして演奏してみるとプロとアマの違いがよく分かりますね。
やはりパワーというのが違うんです。昔はPAが無いので自分で大きな音を出さなくてはいけないんですね。

今は趣味だから楽しいですね、昔は生活がかかっていたから。

H:今日は長い時間ありがとうございました。最後にいつも皆さんに聞いているのですが、前田さんにとって音楽というものはなんでしょうか。注:1

M:音楽・・・そうですね。音楽があって、今のメンバーとも縁がありましたし、これからもまた続けられていけると言うことが幸せですね。スパダースがあって今があり、また色々な人と巡り会うことが出来ました。

I:どうもありがとうございました。前田さんの今後のご活躍を願っています。

 

 

注:1いつもでしたら「GSとは?」なんですが・・・


 

雑誌「世田谷ライフ」に紹介された前田商店の記事。 お近くにお寄りの際は是非のぞいてみてください。

 

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