スパイダースのメンバーになって

 

スタジオネイブにて


I:スパイダースの音楽の要は大野さんがやっていたと加藤さんから聞いたんですが。

M:ドラムの細かいフレーズとかも教えて貰いました。レコードを聴いても、どうしても耳コピ出来ない時なども、大野さんは「ここはこうやって」と教えてくれました。音源もすぐ譜面にしてくれました。

H:当時はコピーとかないんですよね。

I:当然手書きです。それもパート別に大野さんが書いてくれるんです。大野さんは音楽に関しては凄いですね。
一寸ミスをしたりすると、ぱっと大野さんが見るんですよね。絶えず周りの音を気にしてるんです。
カウントも大野さんが膝で取っていました。

H:田辺さんの伝説というとカウントと違うスピードで始まるというのがありましたが、前田さんになってからはそれはなくなったと言うことでしょうか。

M:でも、僕の記憶で田辺さんがカウントを取っていたという覚えがないんですよね。 そのままいきなり始まっていたと思います。

H:加藤さんのお話で、始まってからどんどんテンポが上がっていって、(田辺さんの)シンバルでまた元に戻るというのがありましたが・・・

M:そう言うのはあったかも知れませんね。だから、堺さんが「前田になってから歌いやすくなった」と(笑)

N:田辺さんから直接教えて貰ったことはあるのでしょうか。

M:2.3回有ったかなあ・・・教えて貰ったというより見て貰ったと言うことですかね。

I:それはどう言った場所でしょうか。

M:地方公演に行って、ドラムをセッティングするでしょ、その後(田辺さんは)客席で音が聞きたいんですよ。その時に「前田、叩いてみろ」と言われました。それを最初に言われた時はうれしかったですね。前田がどのくらい叩けるかというのを知りたかったんでしょうね。

H:その際にドラムのチューニングもするのですか。

M:そうですね、大体はやりますが、最後は自分でやられてました。チューニングに関しては怒られることはありませんでしたね。後、楽器の手入れはしました。シンバルを磨いて、ペダルに油を差して。

N:(テンプターズの)大口さんが言ってたのですが、田辺さんのシンバルは異常に綺麗だったと。

M:そうですね。指紋一つ付いていませんでしたね。

N:ショーマンシップのような物があったんでしょうね。あれだけテレビに出られていましたから。

 

セッティングする前田さん。これが田辺さんのセット。

 

H:また田辺さんの話になってしまいますが、ライブが終わると必ずミーティングをやったと聞いているのですが、それに出席とかされたのでしょうか。

M:いや、それはメンバーと坊やとは仕事の部屋が違うので、そう言うことはありませんでしたね。田辺さんは日劇とか他のバンドが集まるステージには、力を入れていました。それでそれが近づくとミーティングをよくやっていました。メンバーもブルーになっていましたね。
とにかく田辺さんはプライドがあるというか、人気を凄く気にするんですよ。特にタイガースに対しては対抗意識がありまして、客席の反応が負けてたりすると演奏途中で引っ込んでしまって、ミーティングが始まるんです。それでまた出ていくという。

H:前田さんが入られたのが丁度GS全盛の頃ですよね。それ以前と比べて変わったというのは。

M:ブルコメとかはスパイダースとはファン層が違っていました。しかしタイガースが出てきてからそれが被ってきたんですね。 ですから、そちらのファンを持って行かれるのではないかと田辺さんは思っていたようです。
まあ、この後年々追い抜かれては行くのですが・・・

I:最初にウエスタンカーニバルを見られた印象はどうでしたか。

M:いやあ、凄いと思いましたね。3階まであって、奥はさほど広くはないのですが、 それを袖で見たのが、最初で、その後メンバーになってステージから見たわけです。せり上がりがありましてね、太鼓は一番高いから最初に見えてくるんですよ。そうすると演奏が始まるんです。

H:前田さんは日劇は何回お出になっていますか。

M:2回でしたかね。こう帽子を被って出て・・・

N:KKKみたいな奴ですよね。

M:そうですね、後は最後のウエスタンカーニバルの時ですね。

H:袖で見てたのをその後ステージに上がって、どう感じましたか。

M:それは感動しましたよ。せり上がりがありましたからね。

N:メンバーになって最初にステージに上がられたのが、 70年の6月7日と書いてありましたが。

N:そうですね、イイノホールです。その時はメロメロでしたね。音にならないというか・・・
坊やで、リハーサルでやっていた時と全然違うんですよ。終わってから堯之さんにかなり絞られましたね。

結局、音が弱い訳なんですよ。それでそれが普通と思っていたんですが、実際はその倍か、3倍の音を出さなくてはいけないんですね。

I:田辺さんはそれを客席で聞かれたのでしょうか。

M:いや、田辺さんは来てませんでした。

H:6月7日のデビュー前にはドラムを叩いていたのでしょうか。

M:テレビのカメリハでやっていました。田辺さんは本番しかやらないので、そのまえに2.3回叩いていました。

I:つまり、それと本番は違っていたと言うことですね。

M:そうです。他のメンバーもリハは流していたんですね。

N:始めてメンバー加入の話を聞いた時はどうでしたか。田辺さんから言われた時があったと思いますが。

M:いや、田辺さんからはそう言う話はありませんでした。なんでそれを知ったというと新聞に載ったからです(一同笑)

スポーツ新聞の朝刊に「スパイダース新メンバー加入」と。

H:と言うことは田辺さんが新聞社に連絡したと言うことですね。

N:田辺さんとマネージャーで決めてしまったと言うことですか。

M:その後取材が来た時に始めて田辺さんとツーショットで写真を撮りました。自分がドラムを叩いていて、田辺さんが手を取っているような・・・実際はそんなことは一度もなかったんですけどね(笑)

N:その時のお気持ちはどうでしたか。

M:本当にびっくりしました。自分でもそろそろバンドやりたいなと思っていたんですよ、スパイダースの坊やを止めて。
そんな頃にフラワーズからも誘いがあったりしました。でも、田辺さんが断ったみたいですね。

I:当時、スパイダースには田辺さんの後釜という人選は他にあったんでしょうか。

M:カップスのマモルさんと言う話がありましたね。

N:その話はマモルさん本人から聞きました。マネージャーの小野さんから話があったそうです。でもその話は実現しなかったわけですが。

M:結局田辺さんが全部一人で決めたんでしょうね。メンバーも誰も知りませんでした。ただ今までオリジナルも全部見てきているし、言わば気心が知れた人物と言うことで決めたんでは。

N:田辺さんのドラムが叩ける人言うことでしょうね。

M:仮に、マモルさんが入ってきたとしたら、それはスパイダースの音とは違って来るではないですか。そう言ったのもあったんでしょうね。

田辺さんが引退発表をしてから、正式にメンバーになるまでの間、テレビ収録などは、僕が叩いていたんですが・・・

H:つまり、坊やとメンバーと両方やっていた時間があったわけですね。それはどのくらいの期間なんですか。

M:2.3ヶ月位ですかね、そんな記憶があります。

H:イイノホールの後は、どこだったんでしょうか。

M:新宿のニューACBでしたかね。

I:声援なんかはもうかかっていたんですか。

M「前田さん」でしたね。

H:こちらの資料によりますと、愛称「トミー」と言うことになってますが、このときはまだ「前田さん」だったんですね。最初からかかっていたんですか。

M:坊やでもファンがいるんですよ。

N:そうですね、ファンでしたら当然その辺りも知ってますから。

H:そのライブの後は猛練習されたんですか。

M:そうです。堯之さんの家に行って明け方までやったことがありましたね。

N:メンバーになってからは、今度は前田さんに坊やが付いたりしたのですか。

M:そうですね、繰り上がりで(笑)

N:それは気持ちが良いですよね。

M:そうですよ、自分でやらなくて良いんですから(笑)


 

以下次号に期待

 

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