再びベーシストとして。
I:日劇の後、その後もやろうと言う話は出なかったんですか。 K:いや、ありませんでした。後はマチャアキの結婚式の時にもう一度ユニフォーム作ってやろうと言うことになった位で。 H:日劇の時、スパイダースがAKGのマイクを使ってくれたのがうれしかったですね。 K:あれは一番気に入っていましたから。 I:当時はもう売ってなかったと思いましたから、昔の物を保管していたんですね。 K:話は一寸戻るんですが、アンプを作る時に私が全部任されたんですよ。スパイダース用のアンプを4台。 H:それは特注と言うことですか。 K:そうです。最初はバンドマスターを使っていたんですよ。そうしたらトランスが焼けてしまって・・・こんなの使ってちゃだめだから、ショーマンを買おうと言うことになったんですが、これが高いんですよ。 だから、今だから言えるんですが、新宿の岩瀬って楽器屋にショーマンの設計図を頼んで借りてきて作ったんです。真っ黒のボディなんですが、スピーカーが問題だからと言うことでジムテックの低音の方を2本付けようと言うことになって。 I:それを最後まで使っていたんですか?日劇の時は違いますよね。 K:あの時までにはもう全部捨てられてましたね。私のも、家に置いてあったんですが、捨てられてしまったんで、慌てて拾いに行ったんですが、もうスピーカーが外されてて・・・箱はあったんですが、中のスピーカーが無くて(笑)「なんだよ、これ一つ15万だよ!」って。 N:楽器は全部お持ちなんでしょうか。 K:いや、全部貸したまま無くなってしまいました。何十台もあったんですけどね。山内テツさんに貸したのも戻ってこなかったし。ハフナー(注3)は福澤さんにあげましたけどね。 H:加藤さんの最初のエレキベースはなんだったんでしょうか。 K:テスコですね。それで、弦だけはフェンダーを張ろうと思って付けたんですが、1週間でネックが反ってしまいました。やっぱり張りが違うんだと思いました。 H:当時は良くありましたね、ブルージーンズも盗難にあったと言うことでしたが。 N:かまやつさんのティアドロップのギターは戻ってきたそうですね、回り回って。 K:いのやんのギブソンは戻ってきませんでしたね。 H:当時の記憶ですと、ジャズベースを弾いていたような気がしましたが。 K:テスコから、白のプレシジョンになって、それから黒のジャズベースになって、それからギブソンのファイアバードでしたね。 H:映画で見てると普段ステージで使ってないような物がありましたね。 K:その時は音は出していないんですね、音を出さなければどんな楽器でも良かったんです。 H:楽器屋さんの方から、これを使ってくれと言うのもあったんでしょうか。 K:そうですね、TBSに出る時はヤマハが多かったですね。(メーカーの方も)適当に使ってくださいと置いていく場合もありました。 H:それは演奏中のことだったんですか。 K:そうです。ヘビーな曲ばかりやってたからかもしれないんですけどね。
I:さて、それでは、その後サラリーマン生活をされていた加藤さんが、所沢のネイブスタジオにいらっしゃるようになったいきさつをお聞きしたいと思います。
O:直接関わってくださったIさんと言う方が、今日いらっしゃるはずでしたが、一寸都合が悪くなったので、代わりに私が説明します。 その方の知り合いに、スパイダースの追っかけをやっていたという女性の方がいまして、実は、その同じ職場で加藤さんがお仕事をされていたんです。 それで、加藤さんが井上順さんのパーティーに行った写真を職場の上司の方に見せたんです。「こんなのに行ったんだよ。」と言う感じで。ですが、その方はまだ40歳位の方でスパイダースを知らなかったんですね。 T:それで、Iさんが、今度ネイブスタジオでGSセッションと言う催しを始めることになったので、その初回に、加藤さんがゲストとしてお見えになれば大変盛り上がるという話になり、それでその女性の方を通して、加藤さんに、「こういう事をやるので、お出で頂けませんか」と伺いを立てたところ快諾して頂いたんです。 O:僕はまだ皆さんたちより若い世代なんですが、幼稚園の時に実はスパイダースの映画を見たんです。どの映画だったか良く思い出せないんですが。 他にも凄く印象的だったのは、「怪獣ブースカ」 の中で、大作少年が子供達と輪になって、「フリフリ」を唄いながら踊ってたんですよ。それが強烈なインパクトとして残っているんです。それで、スパイダースのベースの方がいると言う話を聞いて、すぐさま「カッペちゃんですか!」と驚きました。 僕は80年代位の時に、吉祥寺の 中古レコード屋でスパイダースのレコードを買ったのですが、当時は今のように、昔の音源とかがまとめられてレコードになったりしていなかったんです。 その話を後日加藤さんに話したら、「そんなにぼられたの!家に行けばあったのに・・・」(笑) I:ところで、加藤さんが順さんのパーティーに出られたのは、メンバーから電話があったんですか。 K:いや、実は私が、「ご無沙汰しています。」とメンバーに手紙を出したんですよ。そうしたところみんな戻ってきてしまって、唯一田辺さんだけから返事があったんです。 I:田辺さんだけが、昔の住所のままだったんですね。 K:それで、秘書の方から、「○月○日に井上順さんのパーティーがあるから出席して貰えませんか。」と電話があったんです。 O:聞いた話ですが、順さんは、加藤さんの連絡先が分からないので、「徹子の部屋」に出た時にテレビから呼びかけたらしいんです。 I:僕も以前堺さんがラジオに出て、スパイダースの昔話をされていた時に、メンバーの中で、加藤さんだけが連絡が付かないと言うことで、「カッペちゃん、聞いてる?」って、呼びかけていたのを聞きました。 N:その会社にいらしたのはいつまでだったんでしょうか。 K:平成4年位まででしたかね。 N:そうですね、確かその頃、私はそこの会社の電話番号までは、探し当てたんです。ところが電話をしたところ、「加藤はもう止めました。」と言われました。その後、ご存じの方いませんかと聞いたんですが、誰も分からなくて。 K:いや、それは本当は分かってると思うんですが、そこは喧嘩して止めたんで。(笑) H:所沢にはいついらっしゃったんですか。 K:3.4年前ですかね、その前は練馬にいたんですが、家内とその母親と2人続けて亡くなりまして、それで思い出を振り切る意味で引っ越ししました。 I:最近メンバー全員で集まろうと言う話が出たとお聞きしましたが、その辺りのお話を聞かせてください。 K:かまやつさんの事務所の方でしたかね、9月の13.14と空いてますかと電話がありまして、何とかなりますと言ったところ、再結成の企画が出ていますので、予定を空けておいてくださいとのことでした。 I:と言うことは、来年もまた期待できると思って良いんでしょうか。 K:いやあ、みんなとやりたい気持ちは半分はありますが、不安も一杯ですし・・・ H:その送られてきたベースがまた弾き初めになったわけですか。 K:そうです。ギターはあったんですが、もうギターは弾けないんです。(弦と弦の)幅が狭いから。やっぱりベースでないと思い切り弾けないですからね。でも、ネイブスタジオに始めて行った時は弾けるかどうか分からなかったです。 H:それは9月頃ですか。 T:いや、最初にお呼びしたのは8月ですね。 加藤さんが来られるというので、果たしてベースをお願いしても良い物かどうかと言うのもありましたが、とにかくスパイダースの曲をやらなくてはと、始まったのが13時からなんですが、その後14時頃いらっしゃるというので、そればかり練習していました。 I:僕が秦さんとネイブスタジオのGSセッションに行ったのは9月だったかと思いましたが、スタジオで加藤さんがベースを弾いてらっしゃるのを見て感激しました。 H:同感ですね。我々にとっては、テレビの中の人であるわけで、その人が目の前でベースを弾いているのですから。 T:加藤さんもベースを弾くと言うのは何十年ぶりとのことでした。 K:20何年ぶりですね。それ以来触りもしなかったですから、手が痛かったですね。手が開かないんですよ。 T:最初にやって頂いたのが、「ブーンブーン」でしたね。 H:何十年ぶりにまた弾いた感じはどうでしたか。 K:楽しいですよね、昔に返ったようで。 I:最近元GSのメンバーの方が続いて亡くなったりしていまして、もうメンバーが揃わないグループが増えている中で、スパイダースは今でも全員揃うことが出来るわけですから、是非来年は再結成して欲しいと思っています。 H:そうですね、是非お願いしたいです。 O:こうして音楽を通して知り合えたと言うことが加藤さんのこれからの生き甲斐になってくれるとうれしいと思っています。少しずつでも良いから長くご一緒できたらと思います。 T:彼(オイリーさん)はネイブ以外でも加藤さんとスタジオに入ってスパイダースだけでなく、洋楽の色々な曲を練習したりしているんですよ。 I:そうした、オイリー北川さんの努力が、加藤さんの音楽魂に再び火を付けたわけですよね。まさに、今回の加藤さん復活劇の立役者と言っても過言ではないと思います。 O:11月に私達のバンドの10周年ライブをやりまして、そこに加藤さんが応援に来てくれたんですが、その際にも「ブーンブーン」を弾いて頂きました。 最初はお願いしても大丈夫かなと思ったんですが、本当に気軽に引き受けてくれるんです。 I:僕らのライブ(市民音楽祭)にも来て頂いて本当に恐縮です。 K:いやあ、やっぱり音の世界って良い物ですから。 H:音の世界・・・良い言葉ですね。 O:加藤さんの場合、昔プロでやってたと言うだけであれば、例えば1回か2回位はスタジオに来てくれるかもしれませんが、その後もずっとスタジオに来て頂いて、また、他の皆さんも加藤さんにまた逢いたいという人達ばかりなんです。 K:いや、私も呼んで貰って楽しんでますから。 N:最後に一つだけ聞かせてください。 カッペちゃんの語源はどこから来たんでしょうか。(一同頷く) K:それはサンズ・オブ・ウエストをやってた時からの関西のファンの女の子が(スパイダースのステージで)「克夫ちゃーん、カッペちゃーん」って言ったんですよ。 N:と言うことは関西時代から、カッペちゃんだったんですか。 K:小学校の頃からそうでした。 N:それは加藤がなまって出来たんですか。 K:当時、○○ッペってのが流行っていまして、そこから来たんです。田舎ッペのカッペじゃないんですよ(笑) ショックでしたよ、客席から「カッペちゃーん」って来た時は。マチャアキがそれを聞いてから、ずっとカッペちゃんになってしまって・・・こりゃまずいと思ったんですが(笑) まあでも、ある意味それで通ってしまってるんで、便利なこともあるんですけどね。(自分でも意識してるのか)街を歩いていても、加藤さんと呼ばれても、ピンと来なくても、カッペちゃんと呼ばれるとすぐ反応するんです(笑) T:プロになってからも、カッペちゃんと呼ばれることは最初は嫌だったんですね。 K:そりゃそうですよ、もう27位になってましたから。それでカッペちゃんではね。 T:でも、世の中加藤さんは一杯いるけどカッペちゃんは一人ですもの。 K:でもね、ワンズ以降の人達は言えないようです。 N:そりゃ、そうでしょうね。(笑)
I:さて、時間も遅くなりましたので、この辺で、突撃インタビューを終わりたいと思います。長時間に渡ってのお話、、ありがとうございました。これからの加藤さんのご活躍、我々一同願っております。 今回は本当にありがとうございました。
後列左より、高木さん、オイリーさん、中村さん、前列、中央が加藤さん左が服部、右が秦。
注3:ヘフナーですが、加藤さんはこう仰っていましたね。 後記: 意外な展開で、知り合うことが出来た加藤さん。本当に優しい方で、元あのようなビッグバンドのメンバーだったと言ったおごりなど微塵も感じません。 加藤さんは、来る4月26日(土)新所沢のネーブスタジオで、高木さんオイリーさん他のメンバーと、スペシャルバンドを結成して、ライブを行います。加藤さんも久しぶりの演奏と言うことで張り切っていらっしゃるとのことです。皆さんも是非応援に行って下さい。
また次回もご期待下さい。
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