スパイダース全盛時代から

 

 


H:ここに色々とDVDが有るのですが、スパイダースの映画というのはどれもスパイダース主役でしたね。

K:そうですね、(これらの他には)東宝でも作っていますね。

H:「にっぽん親不孝時代」ですね。

K:これは(原作が)松山善三さんで、ハワイに行く予定だったんですよ、それでみんなハワイに行けるぞと喜んでいたのですが、結局は日本でロケになってしましました。

N:そうだったんですか。

I:バリ島(珍道中)の話を聞かせて貰いたいのですが。

K:楽しみして行ったんですよ、女の子はきれいで足が長くて、おっぱいがでっかくて(笑)。

I:今でこそ日本からの旅行者も多いバリですが当時はまだそうではなかったでしょうね。

K:当時はホテルも1軒しか無く、飛行機の滑走路も短くて、パラシュートでブレーキをかけないと止まれない位でした。現地の警察も機関銃を持っていて、怖かったですよ。

大使婦人のパーティーに呼ばれまして、ワンステージ終わって、楽器を片づけていたら、お前等もうワンステージやるんだと言われて、そんな話聞いてないと言ったところ「やらないと日本に返さないぞ。」と言われて、もうあの時は恐ろしかったですよ。

N:ビートルズもフィリピンで同様のことがあったそうですね。

K:それが普通の日本人同士だったら、まだ話し合いも出来るのですが、機関銃持って3人位で構えているんですよ。どうしますか?(笑)

怖かった話はもう一つありまして、ヨーロッパツアーに行った時、着いたところがハンブルグと思っていたら、(当時まだ東ドイツ領の)ルクセンベルクだったんです。
そこで(間違えて降りてしまい)井上堯之さんが、トイレに行きたいと言って、駆けだしたんですよ。そうしたら、軍人がわーっと出てきて「Stop!!」。俺達7人はもうこれですよ。(笑)(手を挙げるポーズ)

H:まるで映画ですね。

K:スチュワーデスが来てくれて説明してくれたので、何とかなりましたが。俺達はお上りさんでしたから「あんたら、降りるところが違うよ。」なんて。

H: このバリ島の映画は撮影期間はどのくらいだったのでしょうか。

K:2ヶ月ですね。向こうに行って現地のお金で2万円くらいお小遣いを貰ったんですが、(結構あったんですが)かびくさくて半分も使いませんでしたね。同行の内田良平さんは沢山買い物してた様ですが。

それで、向こうに着いてこのシャツを作ったんです。

N:この写真のですね。(一同DVDのジャケットを見る。)

K:先程の大使婦人のパーティー時に、後で婦人が申し訳なかったと更沙の生地を1反くれたんですよ、それで作ったんです。現地のホテルで、1時間位で出来るんですよ。

N:一番最盛期の時期に2ヶ月休むと言うことはどうでしたか。

K:最初、香港で半月位ロケをやりまして、その後ジャカルタに着いたんですが、バリ島の撮影許可がりなくて、半月位ボケーッとしてました。(笑)

N:逆に超売れっ子の時代ですから、ゆっくり出来たのでは。

K:そうですね。

N:テレビの番組は溜め撮りしていったんですか。

K:いやあ、そう言うことはなかったですね。

H:スパイダースがそれだけの期間テレビに出なかったという記憶がないんですけどね。

N:そう言えば、ある日突然、日焼けしてテレビに出てたのを見た覚えがあります。丁度「真珠の涙」の頃しょうか。
そう言えばその頃に、堺さんのお父さんが亡くなられたと思いましたが。

K:その時は富士急ハイランドの夜の公演が終わって 、10時頃でしたか、新聞社の人から「堺駿二さんが倒れました。」と電話が入ったんです。マチャアキは「そんなの、冗談だよ、悪戯電話じゃない。ほっとけよ」と言っていたんです。それが何回も電話があるので、確認したところ、本当だと言うことが分かりみんなが「正章帰れよ。」と言ったんですが、彼は「仕事が大事だから帰りません。仕事場で倒れたなら本望ですから。」と言うんですよ。
だから、旅館に引っ張り込んで真ん中に座らせて、みんな土下座ですよ。「帰ってください。頼みます」と。(笑)
死んじゃってからじゃ、俺達顔が立たないんでって、帰って貰いました。

あの頃から(彼の)役者魂ってのは凄いなあと思いました。

N:死に目には会われたのでしょうか。

K:会えました。

N:最後の共演は、にっぽん親不孝時代でしたね。

 

 

N:ヨーロッパツアーでは、誰か向こうのミュージシャンとはお会いしましたか。

K:フーとはよく会いましたね。最初は空港でした。

N:そうでしたか。ロジャー・ダルトリーがスパイダースと会ったのを覚えているんですよ。私の友人がインタビューした時に、日本のバンドで知っているのはあるかという質問にザ・スパイダースと答えていたそうです。

K:へえー、覚えていてくれたんだ。うれしいな。

そういえば、(ヨーロッパツアーの時は)サイン攻めにあって大変でしたね。みんな鼻紙のような物を持ってきたりするんですよ。もう何でも良いから書いてくれと。

N:それはテレビに出たからですよね。

K:そうですね、ましてや(日本人が)向こうの曲をやるわけですから。

N:どんな曲を演奏されました。

K:最初はカバーですね。最後にオリジナルで。最初からオリジナルをやってそっぽを向かれたら大変と。

N:(テレビ局の)観客の反応はどうでしたか。

K:みんな真剣に聴いてくれていましたね。

おまけに、フィリップスの方でもファンクラブを立ち上げてくれたので、何人かが空港まで見送りに来てくれました。

N:結構こちらが思うよりも(ヨーロッパでは)知名度があるようなんですよ。

H:今だったら逆にそれが宣伝の材料になるんですがね・・・

N:当時はまだその術を知らなかったんでしょうね。

H:ビートルズにこのアルバムNO.1を聴かせたかったですよ。ビートルズと言えば、日本公演は見に行かれたのですか。

K:わたし一人で見に行きましたね。2階の真っ正面の席で。(ポールの)ベースを見たいんですが、遠すぎて・・・
おまけにギャーッと凄い騒ぎでして、後になって影像で見た時に、そう言えばこんな曲をやってたんだと思いだした位です。

I:他のメンバーの方は行かれなかったんでしょうか。

K:バラバラで行ったみたいですね。しかし、演奏終了後も立てなかったですね。我々にとって神様のようなものですから。

N:同じバンドやってるものとして、その神様を抜きたいとかいったことは、考えたことはありますか。

K:いやあー、そんなことは考えたことはないです。コピーするだけで十分でした。

 

 

次回に続く。

 

BACK NEXT