スパイダース加入

 

 


H:スパイダースがバンドとして固まってきた時というのは、昭和で言うと・・・

K:オリンピックの2年位前ですから、昭和37年位ですかね、銀座の「ACB」のママさんから依頼があって、週に3・4回やっていました。他にも新宿の「ACB」とか・・・そのうちに段々とゲストボーカルを入れずにスパイダース独自で演奏するようになってきました。当時は、橋幸夫さんなどもジャズ喫茶に出られてました。布施明くんも、1曲やって引っ込む、そんな時代でしたね。

「フリフリ」などもやってましたが、まだ人気が半端でしたね、一般には浸透していないような。

H:フリフリはレコードが昭和40年の発売なんですが、ステージではすでに演奏していたのでしょうか。

K:やってましたよ。

N:それ以前にあのメンバーになる前というのは、どうだったんでしょうか。オリンピック辺りで切り替わったと聞いていますが。

K:そうですね、もう忘れてしまいましたが、数人一度に切ったような覚えがあります。

 

 

N:それが10人位いた頃ですね。

K:そうですね。

H:そのオリンピックの後、テケテケブームが来るわけですが、スパイダースもテケテケをやってたのですか。

K:それは、難しかったですね。初代ギターの伊藤さんが止めてから、ギタリストがいないので、ホリプロの「スリー・ジェッツ」 で踊っていた、井上堯之さん(いのやん)を入れたんです。彼は歌を歌うつもりで来たのですが、いきなりギターを弾けと言われて、1から覚えたんです。
(彼と私は)田辺さんの家にいたので、最初は私も良く付き合いました。
中々テケテケが弾けなくて・・・ベンチャーズをやったのは随分後でしたね。

N:それ以前にビートルズをやろうという話でしたのでしょうか。

K:そうです。まだビートルズが一般に浸透してなかった頃ですね。

N:ビートルズの日本デビューは’64なんですが、かまやつさんは’63に出た「Meet The Beatls」を持っていてメンバーに見せたと聞いてますが。

K:そうです、レーサーの福沢幸雄さんと生沢徹さんから全部教えて貰ったんです。でもテープしかないので、歌詞が分からないんですね。だから結構いい加減だったんじゃないですかね。

でも当然誰も知らないんですから、気づくわけ無いんですよ。(笑)

N:では、その時点で、今迄のジャズバンドからそうしたビートルズのようなバンドに替わろうという方向性の転換があったのでしょうか。

K:そうですね、みんなでよく会議しました。テレビの収録の後とかに。

N:加藤さん自身はどう感じられましたか。

K:ロックは、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」や、プレスリーなどで下地が出来ていましたが、いきなり(リズムが)裏から出てくる音楽というのはそれまで聞いたことがなかったんで度肝を抜かれましたね。日本人が元々持ってる手拍子のリズムと違うわけですから、ステージで演奏しても、いつ出るのかスリル満点で、上手くあってるかどうか・・・慣れるまで大変でしたね。
裏打ちというのはまだ日本に一般的ではなかったですから。

I:その頃は、もう固定メンバーだったわけですか。

K:そうですね。

I:一番最後にスパイダースに入ったのが井上順さんですよね。ジャズとかをやっていた時はもうメンバーだったんでしょうか。

K:いや、その頃はまだいませんでした。 注)1

H:そうしたビートルズナンバーをステージでやってる内にテケテケブームが来たのですね。

K:そうです。だから両方やる事になるんですが、まだ、いのやんがギター始めたばっかりだったんで、克夫ちゃんが随分助けていました。

H:当時の「勝ち抜きエレキ合戦」にゲストが模範演奏するんですが、それにスパイダースが出てた時に大野さんがリード弾いてた覚えがあって、変わったバンドだったなと言う印象がありますね。

K:克夫ちゃんがいたから、あれだけ正確に演奏できたんじゃないですかね。(彼は)曲が来るとそれを聞いて全部譜面にするんですよ、それでなければ出来なかったですね。

それでも、1・2回見たらもう見られないんですよ。

H:みんなで回すからですか。

K:いや、もう見ないでやろうと言うことになって。カウントも1・2・3の時代じゃないからって言って、1でもう出るんですよ、だからそれ聞き逃したら出られない。(笑)

だからベースから出る時など緊張しましたね。

H:スパイダースの録音としては、最初はインストでしたよね。その後、フリフリで。

K:あれはね、本城さん(フィリップス)じゃなくて、レコード会社が違うんですね。(クラウン)

当時「黒沢明とロスプリモス」が売れたでしょ、だから会社もスパイダースもこの路線で行こうという話もあったらしいですね。だから昭ちゃんが怒って移籍したんではないでしょうかね。
本城さんと会えなかったらスパイダースはなかったですね。

H:ステージは、テケテケとビートルズをやりながらオリジナルをやるという構成だったわけですね。

K:そうですね、フリフリの他に阿久悠さんに、「モンキーダンス」とか「ヘイヘイボーイ」作って貰っていて演奏してたんです。

N:阿久さんはモンキーダンスがデビュー作でしたからね。

H:フリフリの、客受けというのはどうでしたか。

K:まあ、みんな乗っかってくれまして、盛り上がりましたね。あの頃のジャズ喫茶は、演奏が終わると客席に入ってお客さんと話が出来るんです。

H:と言うことはすでにフリフリが出来ていてその後レコードになったわけですね。

K:当時はレコードを出すと言うことは大変な時代ですから、田辺さんも苦労したと思いますよ。

N:クラウンに行ったというのはどういう理由からでしょうか。

K:いや、それは知らないですね、多分ホリプロが決めたんじゃないですかね。ホリプロが出版権持っていましたから。

H:フリフリのレコーディングのことは覚えていらっしゃいますか。同時録音とか・・・

K:昔は全部リズムから先です。後からかぶせかぶせで。だから最初に取った音が段々消えていくんですよね。音が重なるたびに。だから間奏になるといきなり音がボーンとなったりして。(笑)

外国でやった時などは、一人ずつガラスで仕切られたところ(ブース)で録音するんですよ、他の人の音が聞こえなくて、まあー怖かったですね。

N:フリフリはテイクは結構録ったんでしょうか。

K:いや、そんなにやってないと思います。

N:フリフリとモンキーダンスはレコーディングのために用意されたんですか。

K:いや、前からあったんです。モンキーダンスも、阿久さんがかまやつさんの所に持ってきて、かまやつさんは30分位で曲が出来るんですよ、楽屋で。で、早速それをステージでやろうと言うことになって・・・

当時、日活の撮影所など行くと祐次郎さんにからかわれましたね、「猿どもが来たぞ。」って。(笑)

H:全曲オリジナルの「アルバムNO.1」ですが、これはレコードを作るために曲を作ったのですか。

K:いやすでにあった物を集めたのです。まあ、みんな、(当時では)早すぎた曲だと後でかまやつさんが言ってましたが・・・

H:ビートルズの来日の前ですからね。

K:前座をやってくれと言う話もありました。けど、かまやつさんとか「神様の前ではいやだ。」と。
昔、ベンチャーズで失敗してるんですよ、前座で出たら(観客が)「へたくそー、やめろー」といじめられましたから。みかんは飛んで来るやら・・・情けなくて下向いてやってました。ましてやビートルズですからね。

N:アニマルズとはどうでしたか。気楽にやれたのでしょうか。

K:「ブーン・ブーン」やりましたよ。こっちは踊りがあるからやりましょうとかまやつさんが。

N:ブーイングは無かったんでしょうか。

K:無かったですね。当時、外タレが前座で私たちがトリを取ったこともありましたね。

N:アストロノーツですね、後、ピーター&ゴードンもやられてますね。

K:私と昭ちゃんと2人でやったんですが、あれは良かったですね。なんとも言えない歌ですね。
しかしレコーディングの時は驚きましたね。紙ナプキンにコードが書いてあるだけなんですよ、それでリズムだけでいいから録ろうと言って。だから、今聞いたらぞっとしますよね、何弾いてるか分からないのですから。
克夫ちゃんがいるならともかく。ドラムとベースだけですから。 注)2

H:他の外国ミュージシャンについてはどうでしょう。

K:そうですね、モンキーズも全員で、前から3列目で見ましたが、3曲で帰りましたね。
あそこは元々スタジオミュージシャンで録音してますから。
で もソニー・ロリンズと共演した時は 得る物が随分ありましたね。

I:ソニー・ロリンズとはいつおやりになったのでしょう。

K:それはTBSの番組の中ですね。日本勢は三橋美智也さんが津軽三味線をやりましたよ。

N:味覚糖トップバラエティですね。

K:私が一番影響を受けたのが、シルヴィー・バルタンのバックをやっていたギターのミッキー・ジョーンズですね。彼がよく銀座ACBに来ていて、彼のチューニングを見て、いのやんとかみんなチューニングを覚えたんです。ガシャって感じの音で。だから、「夕陽が泣いている」のギターの音は彼の音に影響されたんです。だから、これは絶対人には教えないって、アンプを演奏が終わると全部ゼロにしました。

H:あのイントロの音を最初聞いた時は驚きましたね。

K:いのやんも音にうるさかったけどかまやつさんもうるさかったですね。何しろ色々な機械を全部持ってましたからね。

N:加藤さんは夕陽が泣いているをやる時に違和感は感じましたか。かまやつさんは感じたそうですが。

K:まあ、流れ作業的にやってました。いつものことだと。大ヒットするなどとは思わなかったですね。

N:井上さんは苦労してあのイントロを考えたのだそうですね。浜口先生の曲だけに断るわけにも行かなかったそうで。(浜口さんには)ホリプロの掘さんの方から、ここらでスパイダースを売り出そうとお願いしたそうです。

K:もっと後の話ですが、売り込むためには私が邪魔だと言われてたんですよ。年寄りは要らないって。(笑)
だから、大石悟郎さんを入れようと言うことになったらしいです。

昭ちゃんが、「カッペ、そろそろマネージャーでもやるか?」って言うから、良いよって言ったら大石悟郎を呼んだんだけど、1週間位いたらいなくなった。

H:それは大石さんがバニーズにいた後の話ですね。

N:エドワーズの後ですね。

K:その話を聞いた時は寂しかったですが、もう年を考えると仕方ないかなと。でも、ベースも教えようがないんですよね。譜面書いて教えるというのも出来なくて・・・
何も(理由を)聞かない内にいなくなってしまいました。
ただ、やはり覚える時は体で覚えないと。譜面を前にしてどうのこうのというよりステージで覚えるという、そう言った前向きな姿勢がないと難しいかもしれませんね。
彼がやっていたら良い男だから人気出たかもしれないですけどね。(笑)

 

 

次回に続く

 

注)1 このいきさつは回を改めて書きます。

注)2 彼等が来日時に、同行したギタリスト、エディ・キングのレコーディングに田辺昭知さん、加藤さんでレコーディングで参加しました。この時録ったのは、「If All You Need」(ピーター&ゴードンの作品)と
「Always At A Distance」(エディ・キングのオリジナル)の2曲で、このカップリ ングで東芝(オデオン)よりシングルがリリースされています。

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