ルビーズその後

     

 


 

I:それでは、ルビーズの武道館公演の事についてお伺いします。

Y:はい。

H:これはファンの間では有名な話になってるんですが、この公演はタイガースの新曲発表会と映画(世界は僕らを待っている)の撮影を兼ねて行われたので、日本のバンドで単独で武道館を使うのは初めてと言う事だったと思います。
それで、その前座として、ルビーズとキングスが出たんですよね。

Y:そうですね。

I:武道館に出るって話をマネージャーから聞いたときはどう思いましたか。

Y:別に普段と同じでしたね。

I:それでは改めて武道館に向けたリハーサルと言うのも…

Y:無かったですね。

I:何曲くらいやられましたか。

Y:10曲くらいですね。タイガースのファンはやさしい人ばかりでしたので、最後までやらせてくれました。(笑)

I:司会の人はいたのでしょうか。

Y:多分いたと思うのですが忘れてしまいました。

I:「世界は僕らを待っている」のラスト盛り上がりの所でこのLiveが使われたんですよね。ジュリーが「僕の名前を呼んでください」って叫ぶ所。

Y:いやあ、僕は見てないんですよね。(笑)

H:入場料とかどうしてたんでしょうね、言わば公開放送なんですが。

Y:うーん、それも忘れてしまいましたね。(笑)

よく覚えてる事と言うと、キングスは、なんば一番でタイガースより上のバンドなんですよ。それで当日、タイガースがキングスに「今日は宜しくお願いします。」と挨拶していた事ですね。

H:武道館での衣装は、「恋のピストル」のジャケット写真と同じ物ですが、普段のステージの衣装ってのはどうされていたのでしょうか。

Y:所沢に「JAZZ」(VAN JUNのような若者向けのブランド)と言う会社が有りまして、岸部シローさんもそこに居たらしいと言ううわさが有るのですが、そこのモニターになっていまして、そこから衣装を提供してもらっていました。

H:レコードのパーソナルには、「山川わたる」となっているのですが、これは誰がつけたのでしょうか。

Y:ポリドールのディレクターです。

H:これはお聞きしにくいのですが、当時貰っていたギャラってのはどうだったのでしょうか。

Y:うーん、そうですね。まあ、同世代の若者よりかは少しは貰っていたかもしれませんが、さほど高額な物では無かったです。

I:それはステージごとでしょうか。

Y:いや、月給ですね。

 

 

H:それから、ネオGSのニューオックスの事について伺いたいのですが、これは洞下也寸志さん(GS研究会)が仕組んだ物ですよね。

Y:そうです、彼から話が来て何曲か書いてデモを送ったんですけど、没になりましたね。(笑)

H:ニューオックスと言うのは、バービー安田とニューオックスと言う名前らしいのですが、オリジナルメンバーは入っていたのでしょうか。

Y:いや、入っていないと思いますね。

H:その時にニューオックスのアルバムにライナーノーツを書かれたとか…

Y:そう言えば、書いたような気がしますね。(笑)

当時、良くインスト関係の物にライナーを書いていたんですよ。それでこっちに話が来たのかな。
僕は、「ニューエレキダイナミカ」の編集長だったんで、その辺りのニュース関係を書いていたんです。元々書く事は好きだったんですけどね。

H:「ニューエレキダイナミカ」と言うと、あの分厚い本ですね。
これにはどう言ういきさつでかかわる事になったのでしょうか。

Y:パイオニアレコードの宮治淳一さんが主催者だったんです。それでその彼の考えに心頭して、たまたま、文を書く人がいなかったので参加させてもらいました。あと、「ニューエレキダイナミカ」と言うのは、あの本だけではなくて、普段はテープマガジンのような物を年4回発行していまして、その他には機関誌のような物も出していました。
あの本はその集大成のような物ですね。
でも、その後、意見の相違から止めちゃったんですけどね。

H:その関係でニューオックスの話が来たんですね。

Y:そうですね、洞下さんとは昔から付き合いがあったので。

H:いつお知り合いになったんですか。

Y:ルビーズをやめてからですね。僕が、箱バンド(店の専属バンド)をやってる時に知り合いました。

H:箱バンドでは、どんな物をやっていたんですか。

Y:何でもやりましたね。弾き語りから、歌謡曲、ラテン系のレキントギターまで弾きました。(笑)

H:当時は、まだカラオケが無くてキャバレーとか各店に箱バンが有ったんですよね。

Y:カラオケの普及で無くなりましたね。

H:ルビーズの曲でレコードにはなっていないのですが「夜霧の骸骨こんばんは」と言う曲があるんですが、山川さんはタッチしていますか。

Y:いや、してないですね。スタジオでデモを作っただけじゃないですかね。

H:これは、後にフォークのカッペーズがレコード化してますけど。

Y:競作するつもりだったんじゃないですかね。ルビーズには結局合わないと言う結論になったのでは。

あと、レコードには参加しているがクレジットにはないというのも有りますよ。

I:それは、なんでしょう?

Y:大原麗子さんの「ピーコック・ベイビー」と言う曲ですね。これはルビーズがバックをやってるんですよ。彼女のレコードは、多分これしかないと思いましたけどね。

I:それは意外な組み合わせですね。そのいきさつはどう言う物だったのですか。

Y:いや、それは僕達には分りませんでした。突然レコーディングに行ってくれと言われましたね。

I:レコード会社も違っているのですがどういう話になっていたのでしょうね。

Y:そうですね。そのあたりの事は分らないのですが、中村晃子さんのように一人GSのバックコーラスを探していてルビーズにたどり着いたのだと思います。

I:それでは、最後になりますが、現在の山川さんの音楽活動はどうですか。

Y:知り合いのお店で週末にちょこちょこやっています。ボケ防止の為に(笑)

I:本日は、ありがとうございました。今後の山川さんのご活躍を祈りながらこのインタビューを終わりたいと思います。

H:ありがとうございました。

Y:こちらこそありがとうございました。

 

 

写真提供:小野アキラ氏

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