第6回は、菊谷英紀さんの2回目です。

 第2回は、武道館でも共演した「タイガース」の話も含めてレポートさせて頂きます。


例によって、菊谷さん(K)、秦(H)、服部(I )とさせて頂きます。

H:昭和47年の6月8日に「ヤング720」に出ていらっしゃると資料に有るのですが。

K:そうですね、詳しい日時は忘れてしまいましたが、出てたと思います。

H:その他のテレビ出演はどんな物に出られたのでしょうか。

K:後はですね、そうですね、東京のメインステーションの物はそれしかなかったと思います。ローカルのテレビ局は何回か出ました。

H:「ポリドールアワー」は出ていらっしゃったのでは。

K:ああ、有りましたね、「ポリドールアワー」。あの当時、ポリドールは、タイガースはデビューしてパアッと売れてしまいましたので、そう言う番組には出ませんでしたが、男性はなかなか売れなくて原宿のポリドールのスタジオで良く遊んでましたね。
団しんやさんとか、三浦弘とハニーシックスの兄弟とか…
唯一、愛田健二さんだけは売れましたが…

H:当時、ポリドールは、西田佐知子、日野てる子、園まりさんと言った女性歌手が売れてましたから・・・

K:そうですね、そこにタイガースが出てきたわけですね。
後、スタジオにいるときに、よく洋楽のサンプル版を貰いました。オーティス・レディングとかジミ・ヘンドリックスとか…

H:当時、すでにジミヘンまでお聞きになってたのですね。

K:そうですね、凄いなあって。(笑)

H:さて、タイガースの話を聞かせてください。
これは失礼ですが、ルビーズは、タイガースに続いて2番手と言う立場になるかと思うのですが、タイガースを見ててどう思われたでしょうか。

K:そりゃもう、元気の良いグループでしたね。最初に彼らに会った時は、東海汽船の仕事だったかな、船上でやった限定した(招待客のような)催しだったと思いますが、その時タイガースのメンバーは(デビューしたばかりで)あまり、機材を持っていなかったんですね。彼等は、大阪から機材を持ってきてはいたのですが、僕等は当時はフェンダーのアンプを揃えていたんですよ。それで、タイガースのほうから、アンプを貸してくれないかと言う話になり、貸してあげた事有りましたね。

演奏は、船の甲板でやったんですが、僕達が先に30分くらいやったかな。
それから有名な伝説の武道館になるですが、その間に地方公演も有りまして何回か僕等が前座をしました。それにしても、僕も有名な人とは、その後セルスターズに入ってからでも色々と共演してるのですが、まず、タイガースほど凄い人気のグループはいませんでしたね。

I:地方公演でのエピソードとか有りますでしょうか。

K:そうですね、電車に乗って機材を積んで行ったのですが、乗る時はタイガースと同じ電車に乗るんですよ。
ところが、降りる時は、タイガースは一駅前の駅で降りて、僕等がダミーになるんです。(笑)
これは、タイガースのファンのせいで、電車が遅れてしまうと言うのを避ける為だったんですけどね。
駅で降りると、ファンが一杯待ち構えてるんですが、とにかく髪が長くてGS風と言うことでタイガースだと思ってるんですね。もう、そこから抜け出すのに大変でした。

後、地方巡業でホテルに泊まりますでしょ、そうするとファンの子達がホテルに集まるわけですよ。僕等がタイガースのメンバーと、お風呂に入ってると、ガラス張りの広い所だったのですが、誰かが人の気配がするって言うんですよ。それで見てみると確かにいるんですよね。(笑)
ファンの女の子達だと思うのですが…

タイガースのメンバーは、皆おとなしくて、殆どホテルの部屋から出ることはなかったようですが、僕等は、呼ばれてお座敷に行ったなんてことがありましたね。凄いご馳走が並んでいて。

H:タイガースと言えば、ルビーズにも沢田謙二さんと言う方がいらっしゃるのですが。

K:そうですね、その当時全員に「二」をつけると言う戦略があったんですよ。

H:と言う事は、やはり芸名なんですか。

K:勿論そうです。

I:なぜ、「二」を付ける事になったのでしょうか。

K:レコード会社の考えなんで、詳しいいきさつは忘れてしまいました。

I:タイガースに続いて二番目と言う事も有ったのでしょうか。

K:そうかもしれませんね。

H:レコードの話を伺いますが、「渚のルビー」のB面の「青い瞳のエミー」で、フルートが入ってるのですが、これはメンバーが演奏しているのでしょうか。

K:いいえ、メンバーではなくスタジオミュージシャンの方ですね。

H:これに関連して、同じポリドールの田村エミさんと言う方が、「赤い星 青い星」と言う曲を出されているのですが、そのバックがルビーズと聞いたのですが…

K:えーと、彼女のステージのバックはやった事があるのですが、レコーディングの記憶は無いですね。

H:キーボードの音が良く似ているのでそうではないかと思ったのですが。

K:キーボードの機種が同じだったのかもしれないですね。当時は、良くヤマハの物が使われてましたから。

I:他にもバッキングをやった方はいましたでしょうか。

K:他には、同じポリドールの愛田健二さんのステージのバックもやりましたね。

H:「夜霧の骸骨こんばんは」についてお伺いしますが、これは何時頃の企画だったのでしょうか。

K:そうですね、何時頃か忘れてしまいましたが、カッペーズの前である事は確かですね。

H:資料によりますとカッペーズが67年のリリースですのでその前でしょうか。
このような曲をやると言う事についてはどう思われました。
テレビでカッペーズが骸骨の衣装を着てやってたのを見たこと有るのですが、そう思うとルビーズはやらなくて良かったと思うのですが…

K:そうですね。(笑)当時は、与えられた物をやると言う事で、不満を言う事は許されてませんでしたが、僕も、その曲に関しては反対した記憶がありますね。まったく僕等とは路線が違っていましたから。

H:あと、バッキングは、大原麗子さんの「ピーコック・ベイビー」もやっていらっしゃいますが、これのいきさつを聞かせてください。

K:良く覚えてないのですが、レコード会社が違うので、良く僕等を使えたなあと思うのですが、マネージャーが持ってきた仕事だと思うのですが…

H:いわゆる、ショクナイ(内職)だったわけですか。

K:そうですね、そのジャケットにはクレジットして有るのでしょうか。

H:いや、無いですね、やはりレコード会社が違うからでしょうか。

K:そうですね、まずいですものね。コーラスだけだったら分からないと思ったのでしょうか。

H:山川さんによると、いきなり連れて行かれて歌わされたと言う事なのですが…

K:そうですね、簡単なコーラスだったからその場で出来たのでしょう。

H:ルビーズは、シングル2枚出してからメンバーチェンジになったと言う事ですが…

K:水木さんが体調を壊されたので、次に経歴の長い僕がリーダーをやる事になりました。それで、水木さんが抜けた後、彼がベースだったので、(替わりの)ベーシストを探して入れたら、その人がドラムとリードギターを引っこ抜いて出て行っちゃったんですよ。それで残ったのが僕とキーボードだけになって、僕は正直言ってもうやめようかと思ったのですよ。3人もメンバーが抜けてしまって続けるのはきついなと思ったからです。でも、マネージャーの説得もあり気を取りなおしメンバー探しをしていた頃に、金子さんと言うギタリストの紹介だったかな…山川さんが来て、ベースをやってるのもいるという事を聞いて、じゃあ呼んで来いよと言う事になり、同じ所沢でやってる立川さんが入り、その後ドラムの渡辺さんが入り形が整いました。

H:当時の山川少年の印象はどうだったでしょうか。

K:そうですね、健康的で、性格も良くて…年はずいぶん下でしたが。

H:メンバーが抜けた間は、どうされてたのでしょうか。

K:トラ(仮メンバー)でやってたのかもしれませんが、以外とすんなりと決まった記憶が有りまして、余り間は無かったと思います。曲に関してもオリジナルは別として、殆どはコピーの曲が多かったので、すぐステージに立てましたね。

H:色々なグループと対バンされたと思うのですが、印象的なグループは有りましたでしょうか。

K:話は戻りますが、僕が加入した頃(フィンガー・ファイブの頃)、札幌で2ヶ月の巡業が有ったのですが、その時に「ジャローズ」、後の「ボルテージ」(ベースの伊藤さんは後にシャープ5、宮間利之とニューハードに、キーボードの西村さんはGSのブルージーンズ{寺内氏がバニーズ結成の為抜けた後、バニーズと平行していたブルージーンズ}に行きました。)と言うバンドになるのですが、それはもう、鳥肌物のバンドでしたね。東京からと言う事で僕等の方が看板はでかいんですよ、それで僕等が女の子と酒なんか飲んでる間に(笑)宿舎で夜中までビートルズをコピーしてるんです。僕等も、太刀打ちできないから、コミックやろうって(笑)

それで、僕もどうやって練習してるのか聞いた所、東京からきたバンドを見てやってるんだと言うんですよ。どう言うバンドって聞いたら、プレイ・ファイブ(後のジャガース)とか、4・9・1とか(当時はまだこの名前ではなかったですが)を見て研究したと言ってましたね。

後、見て驚いたのは、ハプニングス・フォーですね。ギターレスのアレンジも素晴らしく、やはりもうコピーの時代ではないと思いました。
そのハプニングス・フォーのメンバーが勉強に来てたのが、僕の友達がやっていたラテンバンドの「マスタッチ・セブン」なんですが、これも衝撃的でした。まだ、当時サンタナは知りませんでしたが、まさにサンタナのような、ロックとラテンの融合のような凄い音楽でした。それにしても上には上がいるなと驚きましたね。

H:それではやはり、どうしてもこれを聞かないわけにはいきません。
武道館の話を伺います。

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