I:それでは、ルビーズ結成のいきさつを伺いたいのですが。
K:それは、ルビーズの「さよならナタリー」のジャケットにも有る、水木城二さんと言う方が、ルビーズの先代リーダーなんですが、この方が、ルビーズの前にロックバンドを組んでいまして、たまたま人の紹介が有って、そのステージを見に行ったのですが、その時にバンドに誘われて、それまでは、ハワイアンとかのバンドでロックを歌ったりしていたので、本格的なロックバンドで歌いたいと思っていた僕は、そのまま参加する事にしたのです。それで、そのバンドの名前なんですが、笑っちゃうんですが、フィンガー5って言ったんですよ。(笑)
誰が付けたのか分からないのですが、あまりその名前は使わなかったですね。
それで、横須賀のキャンプに契約が取れるようになってから、そのネーミングじゃ面白くないってことになり、水木さんが良くアニマルズを歌っていたところから、今度は東京アニマルズって名前になったんですよ。
それで、横須賀で仕事をする時は、東京アニマルズでやってました。
H:と言う事は、普段は、フィンガー5で、キャンプでは、東京アニマルズだったんですね。
K:そうなんです、同じ横須賀でも、昼の営業では、フィンガー5、夜の営業ではアニマルズとかね。そんな風に使い分けていました。
H:そのバンドは、後のルビーズになったのは、水木さんと菊谷さんだけだったんですか。
K:いや、もうルビーズの前身になっていました。デビュー前に少しメンバーチェンジが有りましたが、殆ど同じですね。ドラムスが変わっただけです。
それで、僕達が、海の家の契約で1ヶ月くらい鎌倉で仕事をしていたときに、ポリドールの方が来て、面白いのでオーディションを受けて見ないかとと言う事になりました。その時に、ポリドールの松村さんと言うディレクターが、タイガースを担当した方なんですが、僕の声が面白いと言って、僕の声でレコードを作りたいと仰ったんです。当時他にもボーカルを担当できる方はいたのですが、このラインアップでやりたいと要請が有り僕をリードボーカルとして、レコードを作る事になりました。
I:それで、デビュー時にルビーズとなったわけですね。
K:そうですね。
H:レコードデビューの前に、横須賀の「ビーハイブ」と言う店の専属契約になられたそうですが。
K:そうですね、「ビーハイブ」もそうですし、あと、「EMクラブ」とか、いくつかの所で毎日やっていました。いずれも横浜近辺でしたが。「ロンスター」、「プリンス」…
カーナビーツが無名だった頃、「ロンスター」で良く一緒にやりました。
あそこは面白いんですよ、ステージの裏が通路になっていて、楽屋も兼用してるんですね(笑)、それで、メインバンドが奥を使っていて、上下関係が暗黙の中にできてるんですよ。カーナビーツが無名の頃は僕等が奥を使ってたんですが、そのうち、見る見る間に彼らが売れてきて、僕等が手前になって…(笑)凄いグループが出てきたなあと思いましたね。
H:「ビーハイブ」と言うのはどう言ったお店だったのでしょうか。
K:いわゆる、外人バーですね。ステージと言った物は無くて、テーブルを並べた所に若い軍人さんがわいわいやってました。
H:当時は、ベトナム戦争真っ盛りですよね。
K:そうそう、だから、空母が到着すると若い兵士さんたちで一杯になるんですよ。
入れ代わり立ち代り常に入っていて、その当時の横須賀はにぎやかでしたね。
とにかく忙しくて夜も帰れなくなる事があったので、マネージャーさんが家を借りてくれてそこに泊まったりしていました。
H:活動の中心は、やはり横浜近辺だったのでしょうか。
K:そうですね、僕等は、キャンペーンをやらなかったので、兵隊さん相手が多かったですが、たまにビートキャラバンのような事もやった事も有りました。マイクロバスに乗ってね。その他、飛びこみの仕事とか慰問とかもありましたが、そう言う時は日本の方がお客さんですが、殆どは兵隊さんたちでしたね。
H:レパートリーはどう言った物でしょうか。
K:ビートルズ、ストーンズ、キンクス、ヤードバーズ…そう言った、ブリティッシュ系のバンドですね。
H:レコードのキャンペーンは無かったのでしょうか。
K:そうですね、ない事は無かったのですが、そう言った横須賀でやってる事の方が多かったですね。
まあ…売れるわけ無いなという思いは有りましたけどね。(笑)
H:「さよならナタリー」を渡された時の印象はどうだったでしょうか。
K:そうですねえ、当時のGSの曲はやはりどれもロックと言うより歌謡曲と言うイメージが有りましたね。
だから、ああ、やっぱり歌謡曲だなあと言う感じが有りまして、やっててもカチッと来ませんでしたね。
ですから、洋楽のコピーをしてるときのほうが乗って演奏できました。
I:ジャズ喫茶等では、オリジナルは演奏していたのでしょうか。
K:色々、全国も回りましたが、オリジナルもやりましたが、洋楽をやってる事の方が多かったですね。活動の中心は、やはり横浜近辺でしたので。
これはレコードデビュー前の話ですが、ビートルズの来日公演の日、富山で仕事があったんですよ。それでオーナーに頼み込んで近くの中華料理屋さんで見せてもらった事ありましたね。どうせ、今日は店ががらがらだろうから(皆見てて)良いよって…そんな事もありました。
H:レコーディングは演奏はどうされていたのでしょうか。
K:僕等とスタジオミュージシャンと半々でした。メンバーは、譜面で演奏すると言うより、耳コピーで覚えて行くやり方でしたので、僕が譜面起こしをやっていました。スタジオで譜面を渡されて演奏すると言った事も有ったと思います。
ただ、逆に耳で覚えてるので、仮にバンドを離れても又同じように演奏できると言う事もありますが。
H:デビュー時に全員ルビーの指輪をはめていたと言う話を聞いたのですが…
K:そうですね、グループ名の由来は知らないのですが、ディレクターの松村さんが、僕等を全員銀座の宝石屋に連れて行って、ルビーのオーダーをしたんですよ。5人分の。それをつけてステージに出る様に言われました。
H:あと、レコードキャンペーンで、ルビーの指輪が当たると言うのがあったそうですが…
K:そうです。同じ物だったかは分かりませんが、レコードジャケットの中に応募ハガキが有って、何千枚売れたかは分かりませんが、抽選をした覚えはあります。
H:はあ、それでは、この5人の方に指輪が当たると言うのは本当だったんですね。
K:まあ、それは、少しでもアピールしようと言うディレクターさんの考えが有ったんでしょうね。僕らの意思ではないですね。(笑)
続いて武道館でも共演した、タイガースの話になっていくのですが、続きは次回に。