ソロとして

 

原宿クロコダイルにて


H:その後CMソングの方をやられるのですが、これはどういうきっかけからでしょうか。

NK:僕のアルバムを聴いたCM会社の人が、これは面白いと言うことになって、最初の仕事が「キャラメルコーン」でした。そうしたところこれが当たって、その後バタバタと仕事が入り日本の企業の殆どをやったのではないかと思います。230社やりましたから。

I:今、あの歌を知らない人はいませんですよね。

NK:僕の最大のヒット曲ですね。

H:アルバムに比べると数十秒の世界ですよね。

NK:そうですね、軽いと思いました。そうしてやってるうちにライブをやらなくなって、声が出なくなってしまいました。僕は元々自分の声を確認しながら唄うので、ある意味スタジオ向きなんですね。ライブは音が聞こえづらいですから。逆に今ようやくまたライブが出来るようになってきましたね。まあでも、未だにライブは得意ではないですが・・・

N:その後戦隊物になるわけですね。

NK:CMを2.3年やってるうちに、アニメの主題歌を歌わないかという誘いがあり、それがサイボーグ009でした。これもまた当たりまして、CMもそうですが、最初にやった物が当たって、僕は恵まれてるんですよね。

そして、009のアルバムをやって、デンジマンをやって。

N:ロック畑からそうした方面に行くパイオニアですね。

NK:GSからシンガーソングライターになったのも珍しいし、そこからCM、アニメ、戦隊と言ったところにわたっていたのも丁度上手い具合に煮詰まってくると、救われて、その繰り返しだったんですね。そして、その後少しブランクはありましたが、今また、GS、アニメブームと実に恵まれているんですよ。

それで成田賢ヒストリーというアルバムを作って、それらとひとまとめにしているわけですが、ビーバーズを聞いていた人達は、アニソンや戦隊物を馬鹿にしたりする傾向があるんですが、今や世界中でアニメは日本の文化として認められているわけで、決して軽い物ではないんですよ。実際、今も外国からのオファーもあるんですが、そのうちに行くようになると思っています。

I:本当に良い時、良い時にチャンスがあったんですね。

NK:そうなんですよ、クリーンヒットではなくて内野安打だったかも知れませんが、記録に残るヒット言うより記憶に残るヒットと言いますかね。

H:今出ている最後の音源というと、このGSサウンズグッディーズというのが84年でしょうか、5枚組で出てますよね。

NK:オールカバーですね。まだ声が若いですね、34位ですかね。

H:これはどういうきっかけで作られたのでしょうか。

NK:これは、ビレッジシンガーズのドラムの林ゆたか君がプロデューサーだったんですよ、それでショーケンが「今日を生きよう」が歌えないのでやってくれないかと誘われました。他にもビーバーズの曲も入ってますが、これはショーケンのまねをして歌いました。今だにライブでも歌いますね。

N:スパイダクション時代はテンプターズとは交流はあったんでしょうか。

NK:有りましたよ。有ったけど余り深くはないですね。向こうが後輩でしたから余り付き合い無かったですね。

H:これは早瀬雅男さんも入っていますよね。これが音源として早瀬さんの最後ですね。

NK:そうですね、「薄くしてくれ」なんて言ってましたが・・・

H:さて、少し話が戻りますが、色々なバンドと一緒にやっていたと言うことですが、工藤文夫さん時代のブルージーンズで、桜井五郎さんがボーカルとか、田川譲二さんがボーカルとかで、田川譲二さんはどういった方でしたか。

NK:田川さんとはエモーションの時代にご一緒しましたが、余り面識はないんです。

H:フランツ・フリーデルとブルーファイアとは?

NK:フランツ・フリーデルさんは良くご一緒しました。上手いなあと思っていましたね。

H:タイガースとも対バンしていますね。どういった感じでしたか。

NK:当時まだファニーズといっていて、大阪から若いのが来ると言うことを聞いていました。早瀬さんとステージを見てて、ルックスも良いし、これは売れるなと思いましたね。

テンプターズとも何回も対バンしましたが、全部持ってかれましたね(笑)

スパイダース、ビーバーズ、テンプターズで廻ったこともあるんですが、そりゃもう凄かったですね。ホームは女の子であふれてて、駅長室で待機してたんですが、ガードマンが壁を作って間に入ってくれて、もうそれは、ビートルズのようでしたね。

H:アウトキャスト、カーナビーツとも対バンされてますよね。

NK:そうですね。轟さんは今はアミューズの重役ですね。水谷君はギター上手かったです。僕のアルバムも手伝って貰いました。

カーナービーツはまだデビューしたばかりで、楽屋に挨拶に来ましたね。「尊敬してます。」っていわれて。後になって、バックをやって貰うことになるんですが。

H:67年の8月にはカップスと対バンしてますが。

NK:カップスのファンばかりでやりにくかったですね。エディ播さんには、やはり後で手伝って貰うことになりますが。面白いバンドだと思いました。

他にも色々なバンドとやっていますね。

H:69年のお正月にタイガース、テンプターズ、ビーバーズでACBでやっていますが、凄い顔ぶれですね。

NK:そうでしたね。

N:それが多分最後の対バンではないですかね、その後GSは衰退していきますから。

NK:そうですね。

H:どうも長時間ありがとうございました。いつも最後に皆様に聞いている質問があるのですが、成田さんにとって、GSとはなんだったんでしょうか。

NK:そうですね・・・今自分があるのはGSが有ったからだと思います。GS時代に培われた音楽性、お客様に接する態度があるから今があるわけで、それがなかったら普通の演歌歌手だったかも知れないし、普通のロックシンガーだったかも知れません。
自分にとってはとても大きな存在で、GSにいられたから今があると思っています。

H:GSと呼ばれることに抵抗はありませんでしたか。

NK:当時から、余りメディアの反応は気になりませんでした。ビッグになりたいとかそうした気持ちではなくて、自分の目標を実現していくことに価値を感じていて、GSと呼ばれたり、日本語のロックと呼ばれたりするのもたまたまですから、自分としては成田賢はこういう音楽をやっているのでそれを聴いて欲しいという気持ちだけで、メジャーになりたいと思えばそうした曲を作って、またそうなっていったかも知れないけど、自分は今こうして歌えていると言うことが大切と思っています。
26年のブランクがありましたが、また歌っていける自分がある、死ぬまで歌っていこうと思っています。

I:どうもありがとうございました。 これからも成田さんの活躍を期待しています。

 

 

 


 

成田賢さんのお話いかがでしたか?

また次回も是非ご期待下さい。

 

BACK TOP