新生オージーンズの旅立ち!

 春の桜コンサートを終えて、山本隆幸がオージーンズを卒業。
そのままドラムスのいない状態が続き、この先どうなる事かと思い悩んでいたところ、秦義人がインターネットのメンバー募集から佐々木仁を見つけ、オージーンズへの加入を交渉。
彼は、もともと70年代ロック系のドラマーであったのですが、秦の熱い交渉の結果、加入を快諾してくれました。

 話は前後するのですが、佐々木仁の加入の前に交渉していた方がおりまして、彼は残念ながら参加を見合わせることになったのですが、たまたまそれを見に来ていた彼の同僚の谷口淳一郎が「ベースをやりたい」と言って来ました。
それまで、ベースをやってきた服部は、これを機に念願の井上忠夫に専念することを決意。(^○^)
秋の市民音楽祭に向けて活動を再開したのでした。

 そうしているうちに、谷口の同僚の河村あやが、「ヴォーカルをやってみたい」と言っていたのを秦から聞いた服部は、交渉を開始。ところが話を進めていくうちに他にもやってみたいと言う人が3人も出て来ました。
佐藤じゅんが抜けて以来、今まで、散々探していたことを考えると夢のようですが…

 そこで、秦と服部はオーディションを開き(某カラオケBOXで…笑)河村あやを、佐藤じゅんに続く2代目ヴォーカルとして迎えることになりました。
其の際、残った彼女たちにはバックコーラスをやってもらうことになりました。
その後、都合で一人抜けることになり、石黒けい堤 弘子で、ジンジャーキャッツが誕生したんです。

 銘々に付いては、色々な案が出たんですが(セクシーダイナマイツとか…笑)彼女たちの提案でジンジャーキャッツになりました。名前の由来、分かりますか?
ジンジャー(生姜)、キャッツ(猫×2)
しょうがねえこですって…

 そして、一段と若返ったオージーンズは(なんか変な言い回しですが…)一丸となって市民音楽祭に向けて動き出したのでした。

第24回所沢市民音楽祭。

ミューズ・マーキーホールにて

 今回は、河村あやの加入で再び女性ヴォーカル物を取り入れて行くことにしました。
今回取り上げたのは、泉アキの「恋はハートで」とロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」です。

 

 「恋はハートで」は泉アキのデビュー曲、不二家のハートチョコとタイアップしていました。バレンタインデーと言う言葉が定着し出してきた頃でしょうか。「ビー・マイ・ベイビー」は日本では、弘田三枝子が「私のベイビー」と言うタイトルでカバーしていました。今回の歌詞は、そのバージョンです。

          
 それから、GSを語る上で欠かせないスパイダースの「あの時君は若かった」。
やはり、21世紀のGSと豪語するからにはスパイダースのナンバーを忘れる事はできないですからね。

  


 後のナンバーに付いては、メンバーが確定してからの時間的な余裕のなさも有りまして、以前の物から「二人の銀座」とメンバー紹介の為の「ブラックサンド・ビーチ」、最後は、我々オージーンズのオリジナル曲「アマリアの涙」と続きます。


 いずれのナンバーも、オリジナルと編成が違っているのでアレンジに悩みました。

 「アマリアの涙」に付いては、桜コンサートの時はアレンジがまとまっていなかったので、今回、随分考えました。今回、お聞きになってどう思われましたでしょうか。ぜひ、感想をお聞かせください。

 

 次回の桜コンサートでは、又よりいっそうパワーアップしたオージーンズを皆さんに披露できるものと自負しています。ご期待ください。

 

尚、今回のliveの写真は、夜の銀狐さん撮影による物です。
どうもありがとうございました。

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